ドバイ在住「元手0からFIREを実現」元中学校教師の中野和幸です。
はじめに:氷河期世代のあなたへ
この記事を開いてくれたあなたが、1970年代後半〜80年代前半生まれの「就職氷河期世代」であれば、僕と同じ痛みや葛藤を抱えてきた人かもしれません。
僕は今、投資・ビジネス・AIを駆使して、自由なライフスタイルを手に入れています。
でも、その背景には、「絶望」と「再起」と「人とのつながり」がありました。
この記事では、かつて“神童”と呼ばれた僕、中野和幸が、どん底を経て、なぜ今“恩送り”を掲げて生きているのか――
そして、なぜ氷河期世代のあなたと一緒に未来を描きたいと思っているのかを、すべて本音で綴っています。
「就職氷河期」という不条理の時代
企業が若者を採用しなかった日本
1990年代後半から2000年代初頭――
日本の若者は、歴史上もっとも冷遇された世代といっても過言ではありません。
バブル崩壊後の経済停滞。企業は次々に新卒採用を凍結し、「正社員ゼロ採用」や「経験者のみ」の求人ばかり。
ハローワークの求人票はスカスカで、書類すら通らない。当時の就職内定率は60%前後。就職浪人や非正規を転々とするしかない若者が大量に生まれました。
社会から「頑張り」も「実力」も否定された感覚
この時代に新卒で正社員になれた人は、本当にわずか。学歴があっても、努力しても、「タイミングが悪い」と一言で片付けられる。社会のせいなのに、自分がダメなんだと思わされる。
そんな不条理の中で、多くの仲間たちが心を折られていきました。

そんな氷河期世代の中でも、“奇跡的に採用された美術科正規教員”が、その後どん底を経験し、投資とビジネスでFIREを実現した物語を綴りました。
トップ1%の優秀さを超えて、今がある – 中野和幸の実話
教員採用試験の現実――“安定”とは程遠い世界
教員になることも「夢物語」だった時代
「先生なら安定だろう?」――
そう言われることが多かったですが、氷河期当時の教員採用はまさに地獄のような競争でした。
- 団塊世代がまだ退職していなかったため、枠が非常に少ない
- 地方自治体の予算カットで、採用数自体を大幅に絞っていた
- 1つの教科に数百人が殺到し、倍率は20倍〜100倍以上にも
つまり、教員になることすら極めて難しかったのです。
美術科――ほぼ“採用ゼロ”の年もある狭き門
僕が挑んだのは、さらにハードルの高い「中学校美術科教員」。
美術科は毎年の採用枠がとても少なく、
自治体によっては「今年は採用ゼロ」も普通。
あっても1〜2名。
しかも実技、面接、模擬授業、教育論文と、全方位でスキルが求められます。
受験者は、美大出身者や既に講師経験のある人ばかり。
そんな中で、僕は“特別な努力をした”という実感もなく、自然と合格していました。
幼い頃から僕は「神童」と呼ばれ、感覚的に物事を捉え、結果を出すのが得意でした。
だからこそ、「あの倍率でよく受かったね」と驚かれながら、合格できたのだと思います。

順風満帆だった教員人生、そこに訪れた崩壊
20代で正規教員として採用され、「一生、生徒と関わる仕事を続ける」と本気で思っていました。
日々、生徒と本気で向き合い、成長を見届ける。
芸術を通じて“感じる力”“考える力”を育む。
教育現場に、確かなやりがいを感じていた――はずでした。
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認知機能の低下――僕という人間が壊れていく
社会人になってから、ある精神薬を服用したことが、僕の人生を一変させました。
副作用で認知機能が著しく低下し、
- 言葉が出ない
- 考えがまとまらない
- 授業の最中、自分が何をしているか分からない
“神童” “優秀な教員” “天才” “コンピューター付きブルドーザー” と呼ばれた僕は、いつの間にか“できない人”と陰で言われるようになりました。
若手教員から見下され、職場で孤立。
自信も誇りも、そして生きる目的も、すべてを失っていきました。
どん底の中で出会った“愛”と“理念”
家内の存在――無条件の愛が僕を救った
すべてを失っても、僕のそばにいてくれたのが家内でした。
多重債務、認知機能の障害、身の回りの世話といった介護、将来の不安。
それでも彼女は、何も責めることなく、ただ「一緒に生きていこう」と言ってくれました。
僕はどん底の中で、「人は愛で救われる」という真実を知りました。
生きる意味を問い続けた日々、そして…
「俺は何のために生きてるんだろう」
薬の副作用で働くこともできず、辛い症状で苦しみ、孤独の中で涙を流しながら、天井を見つめ続ける日々が続きました。
あの時の僕は、それしかできませんでした。
自分が本当に情けなくて許せなかった・・・。
でも、ある日、心の奥から声のようなものが響きました。
「今度は、誰かを救う番だよ」
その瞬間、行動理念が浮かびました。
それが僕の人生を再び動かす力となる「恩送りの精神」という考え方です。

坂井増由美先生――僕を引き上げてくれた“恩送りの師”
投資とビジネスの師匠との出会い
そんな再出発の中で出会ったのが、現在の投資とビジネスの大師匠である坂井増由美先生(まゆ姫先生)です。
まゆ姫先生は、病気の僕を一切ジャッジすることなく、僕の可能性を見出し、人生の再スタートの場を整えて引き上げてくださいました。
ちなみにまゆ姫先生は、「元手0からFIREを実現したい方」必読の書である「元手ゼロからドバイで豊かなFIREを実現する方法」を出版されています。
氷河期世代の方にもとても参考になりますのでぜひ読んでみてください。
「恩送りの精神」――人生を導く道標
まゆ姫先生の掲げる信念が「恩送りの精神」。
自分が受けた愛や助けを、次の人へ渡していく。
その言葉に、僕は一瞬で心を奪われました。
まさに僕が絶望の中で掴んだ中野和幸の行動理念と同じものでした。
国の「氷河期支援」は、実質機能しなかった
令和になってから、国もようやく氷河期世代支援に動きました。
中途採用、公務員特別枠、研修プログラム――
しかし現実は、
- 宝塚市役所の採用枠に数百倍の応募
- 書類選考や年齢条件で弾かれる
- 「自己責任論」が根強く残る
国は氷河期を救えなかった。
だからこそ僕は、「人生は自分の手で変えるしかない」と確信しています。
投資とビジネスで、人生は何度でもやり直せる
教職を失い、病気を抱え、社会からもはじき出された僕が、ゼロから学んで立ち上がったのが「投資とビジネス」でした。
- 暗号資産(仮想通貨)
- AIトレード
- Web3
- 通信事業
すべて最初は知識ゼロでした。
でも、まゆ姫先生や僕を慕って信じてくれる仲間たちに支えられながら、少しずつ、でも確実に再起できました。
氷河期世代のあなたへ
僕は、かつて“神童”と呼ばれた。
でも薬で壊れ、人生のどん底を見た。
愛と恩に救われ、もう一度、人生を選び直した。
だからこそ、同じ氷河期世代で苦しんできたあなたに、本気で伝えたい。
人生は、何度でも描き直せる。
最後に:一緒に“恩送り”しませんか?
僕は、もともと「神童」と呼ばれ、社会に出たときも、スムーズに成功を掴んだ“選ばれた側”でした。
でも、薬の副作用で人生が崩れ、誰からも必要とされない存在になり、生きる意味すら見失って、光のない時間を長く過ごしました。
そんな僕が、もう一度立ち上がれたのは――
無条件で支えてくれた人たちがいて、本当の愛に出会い、「恩を返したい」と思えたからです。人は、いつからでも変われる。
でも、一人では難しい。
だから僕は、あなたのそばで、共に歩いていきたいと思っています。僕が受けた“恩”を、“あなた”に渡す。
あなたが、次の誰かに“愛”をつなぐ。そんな「恩送りの連鎖」が、きっとこの世界を変えていく。
そう信じて、僕は今日もこのメッセージを届け続けています。
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氷河期世代の方の人生を大きく激変させるきっかけになれば嬉しいです。
僕、中野和幸へのご質問やご相談がありましたらこちらからご連絡ください。
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