元公立中学校教師 中野和幸
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2026年9月、家内から「今年はナスやキュウリ、オクラなどが思ったように採れない」「雨の日が多くて、野菜の育ちもあまり良くない」という話を聞きました。
日本の自宅の家庭菜園は、基本的に家内に任せているのですが、その話を聞いて、僕は「今ならスーパーで買えるけれど、江戸時代だったらどうだったんだろう」と考えたんです。
もし米が採れなかったら、自分たちの食べ物はどうするのか。そのうえ、農民が米などを領主へ納める、現代の税金に近い負担である年貢はどうなったのかと、疑問が続いていきました。
そこで思い出したのが佐倉惣五郎(さくらそうごろう)で、人々のために立った「義民」として語り継がれているこの人物について、改めて調べ、動画と記事で取り上げることにしました。義民とは、人々を救うために立ち上がった庶民を指す言葉です。
僕は元中学校教師ですが、歴史を学ぶ面白さは、こうして身近な疑問から昔の人の暮らしを考え、最後には「自分ならどうするか」と、今の自分へ問いが返ってくるところにもあると思っています。
この記事では、家内の一言から、江戸時代の農民の暮らし、佐倉惣五郎、そして僕が大切にしている武士道精神へと、考えがつながっていった経緯をお話しします。
家内の「今年は野菜が採れない」という話がきっかけだった
最初から歴史の記事を書こうと決めていたわけではありません。出発点は、家内が育てている野菜についての、ごく普通の会話でした。
日本の家庭菜園は、基本的に家内に任せている
日本の自宅では、家内がナス、キュウリ、オクラ、トマト、ピーマンなどを育てています。ただ、僕自身が毎日水をやったり、苗の様子を見たりして管理しているわけではありません。
僕は仕事や生活の関係で日本と海外を行き来していますし、日本にいるときも仕事などでさまざまな場所を動き回っているため、自宅にいる時間があまり長くありません。そのため、家庭菜園は基本的に家内に任せています。
だから今回も、僕が畑に立って不作を実感したというより、世話をしている家内の話を聞いて考え始めた、というのが正確な経緯です。
ナスやキュウリ、オクラの不作を聞いて考えたこと
「今年は思ったように採れない」と聞いて、まず考えたのは、育てれば必ず収穫できるわけではないんだな、ということでした。苗を植え、世話をしていても、天候など、自分ではどうにもできない条件があります。
家内は雨の日が多いことも気にしていましたが、ここで僕が、雨だけが原因だと決めつけることはできません。それでも、手をかけているのに、期待しただけの収穫が得られないという話は、昔の農民の暮らしを考える入口になりました。
今ならスーパーで買えるけれど、江戸時代だったらどうだろう
今の僕たちなら、家庭菜園で野菜が採れなくても、スーパーへ行って買うことができます。もちろんお金はかかりますが、家の野菜が不作だったからといって、そのまま家族の食べ物がなくなるわけではありません。
そこで、ふと「江戸時代の農民だったらどうだったんだろう」と思ったんです。自分たちが食べる米まで採れなかったら、家族はどうやって暮らしたのかと、考えが一歩先へ進みました。
家庭菜園の不作と、昔の人が経験した深刻な食料不足は、同じものではありません。ただ、今は別の方法で補えることが、昔はどれほど難しかったのかを知りたくなったんです。
米が採れない年、江戸時代の農民はどう暮らしていたのだろう
農作物が十分に採れないことを、凶作といいます。昔の農民にとって、それは単に収穫の楽しみが減るという話ではなく、食べ物と暮らしの両方に関わる問題だったはずです。
収穫が減ると、食べ物と暮らしを支える収入が同時に減る
例えば、ある家で収穫した米を、家族の食べ物にも使い、年貢にも納め、必要なものを手に入れるためにも使っていたと考えてみてください。その収穫が大きく減ったら、食べ物だけでなく、暮らしを支える余裕も一緒に減ってしまいます。
江戸時代にも市場があり、米などの食料は売買されていました。ですから「昔の人は食べ物を買えなかった」という話ではありませんが、広い地域で不作になれば、食料そのものが不足し、値段が上がることもあります。
しかも、収穫が減った側には、買うためのお金が十分にないかもしれません。僕が気になったのは、自分の田畑で採れないことと、外から買って補えないことが重なる怖さでした。
凶作の年にも、年貢は納めなければならなかったのか
ここで僕は、「米が採れない年でも、年貢は納めなければならなかったのか」と考えました。食べる分さえ足りないのに、さらに納める負担があったら、暮らしはどうなってしまうのでしょうか。
ただ、調べると「凶作でも必ず同じ量を取られた」と一言では片づけられません。時代や地域によって仕組みや対応に違いがあり、被害に応じて年貢を減らす措置が取られた例もあります。
例えば、大阪歴史博物館の研究では、江戸時代前期の村で、自然災害に伴う年貢の減免、つまり負担を減らしたり免除したりする対応が確認されています。昔の制度を知るには、厳しかったという印象だけでなく、実際にどう運用されていたかを見る必要があるわけです。
家族の食料と翌年の種を、どう残していたのだろう
年貢が減ることがあったとしても、それだけで家族の食べ物が増えるわけではありません。収穫そのものが少なければ、今日食べるものと、これからの暮らしをどう確保するかという問題は残ります。
さらに農業は、その年だけで終わりません。翌年に作物を育てるための種も必要ですから、目の前の空腹をしのぐことと、次の収穫につなぐことを、同時に考えなければなりません。
僕は農民の生活を調べながら、「自分だったら、どこから手をつけるだろう」と考えました。そして、村全体が苦しかったとき、その声をまとめて伝える人はどんな立場だったのかと思ったところで、佐倉惣五郎の名前が浮かんできたんです。
農民の暮らしを考えるうちに、佐倉惣五郎を思い出した
「そういえば、佐倉惣五郎という人物がいた」。そう思い出したとき、僕が知りたかったのは、名前や有名な話だけではなく、その人物が人々にとってどんな存在だったのかということでした。
苦しむ人々のために立った「義民」という人物像
佐倉惣五郎は、下総国公津村、現在の千葉県成田市台方周辺の名主だったとされる人物です。名主とは、村をまとめ、年貢などの窓口を担う代表者で、惣五郎の実在を示す史料があり、1653年頃に処刑されたとされています。
後世には、重い年貢に苦しむ農民を救うため、将軍へ直訴した義民として語り継がれました。直訴とは、通常の手続きを飛び越え、上の権力者へ直接訴えることです。
調べると、実在の記録と直訴の伝説は分けて考える必要があった
ただし、将軍への直訴については、現在確認できる一次史料、つまり当時の記録から、史実と断定することはできません。惣五郎が実在したことと、有名な物語がそのまま事実だったことは、分けて考える必要があります。
ここは、僕も大切にしたいところです。心を動かされる話だからこそ、どこまで確認できるのかを確かめ、そのうえで自分が何を感じたのかを考えたいと思いました。
僕が気になったのは、なぜ300年以上も語り継がれたのかだった
すると、僕の関心は「本当に直訴したのか」という問いだけではなく、「なぜ人々は、惣五郎を300年以上も語り継いできたのか」という問いへ広がっていきました。
名前が長く残るのには、供養や信仰、物語や芝居として広まったことなど、いろいろな背景があります。それらを踏まえたうえで、僕が特に考えたかったのは、人々が「自分たちのために立ってくれる人」という姿に何を求めたのかということでした。
自分の暮らしだけでも精いっぱいのときに、周りの苦しさにも目を向ける。僕はその人物像に、立場や肩書とは別の、人としての責任を感じたんです。
佐倉惣五郎は本当に将軍へ直訴したのか、どこまでが史実で、どこからが後世の伝説なのか、そしてなぜ義民として300年以上も語り継がれたのかについては、武士でなくても武士道は生きられる|佐倉惣五郎が命を懸けて守ったもので、史料と伝承を分けながら詳しくまとめています。
今回、この疑問から佐倉惣五郎について改めて調べ、動画でも話しました。ここからは、その話を調べたことで、僕自身が何を考えるようになったのかをお伝えします。
歴史を学ぶと、昔の人の選択が「自分ならどうするか」に変わる
昔の出来事を知るとき、僕は「何が起きたか」に加えて、「なぜその行動を選んだのか」を考えたいと思っています。そこまで考えると、歴史は今の自分にも関わる話になってきます。
年号や人物名の先に、その人が置かれた状況を見る
年号や人物名を知ることは、歴史を理解するための土台になります。ただ、それだけでは、その時代を生きた人の迷いや、選択の重さまでは見えてこないと思うんです。
例えば、農民が何かを訴えたと聞いたときに、どのくらい食べ物が残っていたのか、家族は何人いたのか、誰に相談できたのか、訴えることでどんな危険があったのかまで考えると、出来事の見え方が変わります。
人の行動は、その人が置かれた状況と一緒に見て、初めて理解できる部分があります。今の自分にある選択肢が、昔の人にも同じようにあったとは限らないからです。
苦しい立場にいる人を、後から簡単に評価しない
後から見る僕たちは、「訴えればよかったのに」「もっと別のやり方があったのでは」と言うことができます。しかし、実際にその場にいた人は、結果を知らないまま判断しなければなりませんでした。
自分だけでなく、家族や周りの人に影響が及ぶかもしれないとしたら、動くことにも、動かないことにも迷いがあるはずです。そういう条件を考えずに、勇気がある、ないと簡単に決めたくはありません。
惣五郎についても、直訴の伝承を史実と決めつけて「自分も同じことをできるか」と考えるのではなく、人々がその物語に託した責任や勇気を、今の自分の選択にどう生かせるかを考えたいと思いました。
元中学校教師の僕が、日常の疑問を大切にしたい理由
僕は中学校で美術を教えていましたが、学ぶことの入口は、教科書の中だけにあるわけではないと思っています。身近なものを見て、「なぜこうなるんだろう」と思うことも、立派な学びの始まりです。
今回も、家内の野菜の話を聞いて「そうなんだ」で終わっていたら、惣五郎について調べ直すことはなかったかもしれません。そこで一つ疑問を持ったことで、暮らしを支える仕組みや、人の生き方まで考えることになりました。
歴史を学ぶ意味は、昔の出来事を覚えることに加えて、自分とは違う条件で生きた人を知り、今の自分の考え方を見直せることにもあると思います。誰かの答えを覚えるだけでなく、自分の問いを持てるようになることが大切なんです。
武士道を考えることは、僕の時間と能力の使い方を考えること
家庭菜園から始まった話が、武士道までつながったのは、惣五郎の伝承を通して「自分が持っているものを、誰のために使うのか」という問いを受け取ったからです。それは、今の僕自身にも関係することでした。
人々が惣五郎に見た「義」を、僕はどう受け止めたか
僕がここでいう「義」とは、自分の得だけでなく、人として筋の通ったことを大切にする姿勢です。誰かが困っていても、自分に関係がなければいいと済ませず、自分にできることを考える、ということです。
ただし、惣五郎本人が武士道を掲げていたと確認できるわけではありません。人々のために立ったと伝えられる姿に、僕が、自分の大切にしたい生き方とのつながりを感じたということです。
立場がある人も、知識がある人も、それを自分のためだけに使うことはできます。だからこそ、何を持っているかと同じくらい、それを何のために使うかを考えたいと思うんです。
武士でなくても、目の前の人に責任を持つことはできる
僕にとって、武士道精神を今の生活に生かすことは、命を懸けるような特別な行動だけを指すわけではありません。家族を大切にすることや、仕事で引き受けたことに責任を持つことも、その入口になると思っています。
僕の発信であれば、伝える内容を確かめる、難しい話を相手が理解できる言葉にする、分からないことを分かったふりで言い切らない、といった判断があります。少し時間がかかっても、その手間を引き受けることが、読んでくれる人への責任だと考えています。
もちろん、いつも十分にできていると言うつもりはありません。それでも、自分の都合だけで決めていないか、目の前の相手に誠実かという基準を持っておくことには、意味があると思います。
では僕は、何のために自分の命や時間を使うのか
野菜が思ったように採れないという家内の話から、昔の農民の暮らしを考え、佐倉惣五郎を調べました。そして最後に残ったのは、「では僕は、何のために自分の時間や能力を使うのか」という問いでした。
僕は、知っていることや考えてきたことを、相手に分かる形で伝えるために時間を使いたいと思っています。その人が理解し、自分で考え、次の一歩を決める助けになれば、僕が調べたり説明したりすることにも意味があります。
大きなことを一度するだけでなく、日々の仕事や人との関わりの中で、何を選ぶかを考え続ける。僕が武士道精神を大切にしているのは、そういう生き方を忘れたくないからです。
もし日常の中で「なぜだろう」と思うことがあったら、一つだけでも調べてみてください。昔の人はどうしていたのか、その人はなぜそうしたのかと考えていくと、今の自分を見直す材料になることがあります。
僕も、家庭菜園から武士道へ話がつながるとは、最初から思っていませんでした。身近な疑問をそのままにせず、少し先まで考えてみることを、これからも大切にしていきたいと思います。
惣五郎はどのような人物で、どこまでが史実なのか、そして人々はその物語に何を託したのか。関心を持ってくださった方は、史料と伝承を分けて考えた本編も読んでみてください。


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